1日目: 3月2日(火) 大阪駅の旧貨物駅地下にできた新ホームからくろしお1号に乗り3時間半を掛けてJR串本駅に着いた。
レンタサイクルで移動 串本駅→潮岬灯台→潮岬旭之森展望所→本州最南端→トルコ記念館 他→ホテルへ
2日目: 3月3日(水)
レンタカーで移動
ホテル→太地町くじらの博物館→那智の滝→熊野速水神社→立杭岩→ホテルへ
3日目: 3月4日(木) 徒歩で移動
ホテル →立杭岩→串本駅→特急くろしお で大阪に向かう
| 行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウ(タグ)で地図が開きます。 |
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| 串本駅前のSABAKI |
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| 自転車で潮岬に向かう途中で立ち寄って昼食をとった店。新鮮なお魚で旨かった。 |
| 潮岬灯台 この灯台は、慶応二年(1866年) 江戸幕府がイギリス、フラン ス、オランダ及びアメリカの四か国と締結した江戸条約で建設が決められた観音埼、釣倚、野島崎、神子元島、樫野崎、潮岬、伊王島及び佐多岬各灯台の八灯台のうちの一つでした。 |
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| 潮岬灯台の概要 沿革 この灯台は、慶応二年(1866年) 江戸幕府がイギリス、フラン ス、オランダ及びアメリカの四か国と締結した江戸条約で建設が決められた観音埼、釣倚、野島崎、神子元島、樫野崎、潮岬、伊王島及び佐多岬各灯台の八灯台のうちの一つでした。 当初のものは、英人技師ヘンリープラントンが設計し、明治二年 (1869年)四月着工され、一年余を要し、翌三年六月完成、同月十日仮点灯を開始した日本初の洋式木造灯台でした。その後明治六年九月十五日正式点灯して業務を開始しました。明治十一年四月十五日現在の石造りに改築しました。 要項 位置 : 和歌山県東牟曇郡串本町(潮岬) 北緯: 三三度二六分一五秒 東経 : 一三五度四五分一六秒 塗色及び構造: 白色塔形(石造り) 地上から構造物の頂部まで: 二二メートル 高さ: 平均水面上から灯火まで四九メートル 等級及び灯質: 無等単閃白光毎一五秒に一閃光 光度: 六九万カンテラ 光達距離: 一九・○海里(約三五キロメートル) 明弧: 二七八度から一三〇度まで 三その他 光源: 一五〇〇ワットハロゲン電球 灯器: 直径一二〇センチメートル回転灯器 管理: 第五管区海上保安本部 田辺海上保安部 |
| 潮岬旭之森展望所 潮岬観光タワーができるまでは此処が本州最南端の展望所としてにぎわっていた。 |
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| 「 本州最南端 潮岬 」 の旧標識 駐車場からは徒歩でか寄りつけないので、次の潮岬観光センターに新しく設けられた新標識「 本州最南端 潮岬 」に引き継がれた。 |
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| 本州最南端 |
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| 潮岬 観光タワー |
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| 新しく設けられた新標識「 本州最南端 潮岬 」 |
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| トルコ記念館 他 |
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| 民間ロケット会社:スペースワンが開発する「カイロス」は、和歌山県の「スペースポート紀伊」から打ち上げられる日本初の民間小型ロケット。世界最短・最高頻度の打ち上げを目指し、固体燃料を使用。 ロケットを追尾するアンテナを載せたトラック。 |
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| トル口軍艦遭難慰靈牌 明治23年9月16日(1890年)、トルコ国皇帝特派使節団を乗せた軍艦エルトゥールル 号が暴風雨のため、この慰霊碑眼下の海域に臨む船甲羅岩礁で難破しました。 島民は献身的な救助活動を繰り広げ69名を救助しましたが、580余名の乗組員の 尊い命がうばわれました。そして、引き揚げられた遺体をこの丘に埋葬しました。 翌、明治24年に和歌山県知事をはじめ、有志の義金により墓碑と慰霊碑が建立され 併せて追悼祭が行われました。この碑は昭和4年の昭和天皇の樫野埼行幸を聞いた トルコ共和国ムスタファ·ケマル·アタテュルク初代大統領が新たに慰霊碑を建立 することを決定、トルコ共和国の資金により昭和12年6月3日(1937年)に完成した ものです。 |
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| ムスタファ・ケマル・アタテュルク騎馬像 |
ムスタファ・ケマル・アタテュルク騎馬像 (1881~1938)第一次世界大戦後、分割占領された祖国解放に立ち上がったムスタファ・ケマル・アタテュルクは、指導者としてこの戦争を勝利に導いたトルコ国民の偉大な英雄である。 アタテュルクは初代大統領として、あらゆる分野で改革を行い、祖国の近代化を成し遂げた建国の父として今尚、国民から深い尊敬を受けている。 この騎馬像は日本トルコ友好の礎を築いた軍艦エルトゥールル号の遭難120年に当る年に更なる両国友好の発展を祈って駐日トルコ共和国大使館より串本町に寄贈されたものである。 本像の串本町への寄贈、設置にあたり支援をいただいた駐日トルコ共和国大使館、日本財団をはじめとする多くの方々に深甚の感謝を捧げるものである。 2010年6月3日 串本町 |
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| 樫野埼灯台 |
日本最初の石造灯台この灯台は、慶応2年(1866年)江戸幕府とアメリカ等4か国との間で結ばれた 江戸条約で建設が決められた8灯台のうちの一つです。 「日本の灯台の父」として知られるリチャード·ヘンリー·ブラントン(英国人) がわが国で初めて手がけた石造りの洋式灯台で、明治2年(1869年)3月着工、翌 明治3年(1870年)6月10日に点灯されました。 |
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| 太地町くじらの博物館 世界一のスケールを誇るくじらの博物館には、鯨の生態や捕鯨に関する資料などおよそ1,000点に及ぶ貴重なものが展示されていて、わが国捕鯨発祥の地として昔から現代までのおよそ400年の歴史を目の当たりに興味深くひもといていただけます。 博物館内には、鯨類骨格標本、古式捕鯨に用いられた道具、古式捕鯨を模したジオラマ、近代捕鯨の銛や大砲、キャッチャーボート模型などクジラと捕鯨のことが詳しく展示、解説されています。 |
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| 博物館外観 |
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| 大きなくじらの模型 |
| 那智の滝 熊野那智大社の別宮である飛瀧神社の御神体として崇められている那智の滝。「一の瀧」とも呼ばれ、上流にある「二の瀧」「三の瀧」と合わせて「那智大滝」と総称されます。この滝は国の名勝に指定されており、日本三名瀑の一つでもあります。落差133mの滝の流れは迫力があり、毎秒約1トンの水量が落下しています。那智山の奥山、大雲取山から流れ落ちる水しぶきが周囲を白く彩り、壮大な景色を生み出します。 滝の幅は13mで、流れ落ちる水は三筋に分かれているため「三筋の滝」と呼ばれることもあります。滝を真正面から拝観できる観覧舞台、御滝拝所舞台からはまるで滝と一体になれるような距離で名瀑の迫力を肌で感じることができます。また、滝つぼの水は延命長寿の水とも伝えられており、口に含めばその清らかさが旅の疲れを癒やしてくれそうです。 from web 聖地リゾート |
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| 熊野速玉神社 熊野本宮大社、熊野那智大社とともに熊野三山を構成する大社。神倉神社のゴトビキ岩に降臨した熊野権現を勧進するため、景行天皇の時代に社殿を造営したと伝えられています。主祭神は熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)の夫婦神。境内には天然記念物に指定される樹齢1000年のナギの巨木があります。 |
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![]() さざれ石 | ||
さざれ石『君が代』 千代に八千代に さざれ石の巌となりて 小石の集まりてさざれ石の、巌のいる磯上ありみちをもて 「君が代」のもとは 人知らず」の歌として見られ、天皇陛下の長寿と国家の繁栄を祈る古歌であります 「小さな石が寄り集まって大きな巌となる様子を表し小石が集まるほど末永く日本の国が栄えますようにという 願いが込められています さざれ石は不思議なことに二番の歌詞のごとく令和二年二月早朝 令和熊野灘の海底から新宮市王子ヶ浜海岸に上がり発見されました この大きさになるまでは数千万年の歳月を要します | ||
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| 立杭岩 |
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| 立杭岩 |
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| 立杭方向にむかって立ち並ぶカメラの放列。民間ロケットの打ち上げを待っています。 |
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| 立杭岩。昨日の雨は上がり好天に恵まれた。 |
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| 立杭岩。昨日の雨は上がり好天に恵まれた。 |
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| 立杭岩。昨日の雨は上がり好天に恵まれた。 |
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| 立杭岩。昨日の雨は上がり好天に恵まれた。 |
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| 立杭岩を望む温泉{弘法湯}付近の岩場。 |
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| 立杭岩を望む温泉{弘法湯}付近の岩場。 |
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| 立杭岩を望む温泉{弘法湯} |
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| 立杭岩 |