鹿児島tour


1日目  2024/7/2  鹿児島空港→曽木の滝→清水神社→旧曽木発電所跡→旧曽木発電所遺構→観音の滝→鹿児島市内ホテル
2日目  2024/7/3  ホテル→鶴丸城御楼門→道の駅いぶすき→竜宮神社→長崎鼻灯台→池田湖→知覧武家屋敷→霧島ホテル
3日目  2024/7/4  ホテル→霧島神社→丸尾滝→千の滝→えびの高原→霧島山麓丸池公園→鹿児島空港



2024/7/2(火)     

鹿児島空港→曽木の滝→清水神社→旧曽木発電所跡→旧曽木発電所遺構→観音の滝→鹿児島市内ホテル


行程をスマホのGPSでトレースしました。クリックすると別ウィンドウ(タグ)で地図が開きます。
神戸空港  
スカイマークのピカチューにこれから乗り込みます。


曾木の滝
滝幅210メートル、高さ12メートルの壮大なスケールを誇り、「東洋のナイアガラ」とも呼ばれる曽木の滝。千畳岩の岩肌を削るように流れ落ちる水流とその轟音は、訪れる人々を釘付けにするほど豪快。一帯は自然公園となっており、四季の彩りも美しく桜や紅葉の季節には、イベントも開催されます。
曽木の滝
柳原白蓮   「もののふの 昔がたりを 曽木の滝  水しぶに ぬれつつぞ聞く 」
曽木の滝
曽木の滝
堀之内良眼房の碑
堀之内良眼房(読み:ほりのうちりょうがんぼう)は,伊佐市では『川内川の川浚え』を指揮した人物として,伊佐市内の小学校では社会の授業で取り上げられていた人物だが,鹿児島県下でもそう有名な人物ではない。
少し年輩の方なら,直木賞作家海音寺潮五郎の「二本の銀杏」の主人公「上山源昌房」のモデルとなった人物,と言えばあらすじを思い出すことができるかもしれない。二本の銀杏で主人公が農業土木工事的な工事を指揮しているのは,良眼房と同じである。
良眼房は,1808年(文化5年)に,伊佐市立大口東小学校の近くの西原八幡宮の第13代宮司として生まれ,真言山伏の修行を治め,大政奉還の6年前に52歳で亡くなっている。西郷隆盛より20年前に誕生しており,江戸時代後期の人物である。伝えられるところでは,身長は五尺九寸五分(約180cm),色黒く力も群を抜いていたという。江戸末期の男性の平均身長が155cmとされるので,当時としてはかなり大きい人物である。ちなみに,西郷隆盛が180cm,大久保利通が183cmあったのではないかとされる。
曽木の滝
もののふの 昔がたりを 曽木の滝 水のしぶきに ぬれつつぞ聞く  白蓮
昭和32年、世界平和運動の講演で曽木の滝を訪れたとき詠んだものです。
曽木の滝
曽木の滝からの水が流れる上の橋は新曽木大橋




清水神社    曾木の滝公園の展望所近くにあった神社。縁結びと子宝の神。
鳥居
参拝すると良縁に恵まれるという清水神社を伊佐の観光スポットにしようということから「赤いハートのオブジェ」が誕生しました♡!
真っ赤な社殿
清水神社の由緒


旧曾木発電所跡 
曽木発電所は、明治42年に竣工し、その出力は当時国内でも最大級のものでした。創設者は野口遵で、牛尾大口金山に電力を供給するために明治39年に曽木の滝の水力を利用する電気事業を起こしました。 当時としては大規模な6,700キロワット(最大出力)の電力を作りだし、余剰電力を使い水俣ではカーバイト生産を開始。後に、戦前における日本最大の化学会社へと発展したことから、この発電所は日本化学工場発祥の地といわれています。昭和40年に鶴田ダムの完成と同時に水没してしまいましたが、現在では、渇水期の5月から9月に、中世ヨーロッパの居城跡を思わせる煉瓦造りの建物が姿を現します。
導水路
導水路
導水路
導水路
導水路
導水路


曽木発電所遺構   近代化産業遺構 日本化学発祥の地
曽木の滝の1.5キロメートル下流に、今でも明治の面影を強く残している曽木発電所跡があります。曽木発電所は明治42年に竣工し、その出力は当時国内でも最大級のもので、水俣のチッソなどにも送電を行っていました。昭和40年に鶴田ダムの完成とともに水没することになりましたが、現在では渇水期の5~9月頃に中世のヨーロッパの居城跡を思わせるレンガ造りの建物が姿をあらわします。その時期以外は大鶴湖の湖底に沈み、存在をも忘れさせます。
また、周辺にはヘッドタンクやずい道跡なども残っており、土木遺産として貴重なものとなっています。
創始者の野口遵は近代化学工業の父とも言われ、経済人としても活躍をしました。



観音の滝   今は廃業の観音滝公園(観音滝リゾート)
観音滝
観音滝
リゾート内の南川(下って行って川内川地なる)
リゾート内の南川(下って行って川内川地なる)



 

2024/7/3(水)

ホテル→鶴丸城御楼門→道の駅いぶすき→竜宮神社→長崎鼻灯台→池田湖→知覧武家屋敷→霧島ホテル