
| 東光山花山院(菩提寺) 三田市尼寺352 |
本尊 薬師如来 白雉2年(651年)、法道仙人による開基と伝えられる。後に、人皇65代天皇であった花山法皇が西国33ヶ所観音霊場を再興の後、当山を終焉の地とされる。境内には御廟所があり、西国札所別格霊場として尊崇を受けている。 境内からの眺望は素晴らしく「有馬富士 麓の霧は海に似て波かと聞けば、小野の松風」という御詠歌に読まれているとおり、その霧海は幻想的である。 なお、法皇を慕い、京から来た女官たちが女人禁制のため、尼となって山裾に住んだことから、この地を「尼寺(にんじ)」という。琴を弾いて法皇をおなぐさめした坂を「琴弾坂」と呼び、彼女たちの墓は「十二尼妃の墓」として祀られている。 説明板から転載 |
| バス停の横から登山道に入る案内。 石塔には 「西国開山 」花山院御廟所」とある。 |
| 山門 |
| 仁王 |
| 仁王 |
| 花山法皇殿 |
| 薬師堂 |
| 七地蔵尊 |
| 花山法皇御廟所 |
| 歌碑 石段の蟻も見ている佛かな |
| 歌碑 やまの鳥 木々のしげみに 啼ききほひ みささきの邊の すがしあさかも |

| 大川瀬 住吉神社 三田市大川瀬字曽根山1646 | 祭神 底筒男命・中筒男命・表筒男命・神功皇后 文永2年(1265年)建立は住吉社として県下最古で、三間社流造、桧檜葺の簡素な造りであるが、往時は東播から丹波地方へかけ摂津国住吉大社神領の中心的存在であった。 三田市HPより |
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| 鳥居 |
| 拝殿 |
| 本殿 国指定重要有形文化財。 三間社流造。 桧皮葺。 鎌倉時代。 外見は三間社になっているが、身舎内前通りで上座は4つに区切られており、住吉の神四柱を祀っている。側面は一間で庇(向拝)部分に前室を造るこのような流造は珍しい。墨書銘では内陣扉の「永享八年(1436年)三月廿四日」がもっとも古い。 三田市HPより |
| 八幡社 大歳社 2枚の札が挙げられていた。 |
| 舞殿 県指定文化財 入母屋造。 茅葺。 本来は桁行1間梁間2間の舞殿として建てられた物に、隣接する長床を廊下で結んで橋掛かりとし、能舞台として使っている。舞台床は中央をやや高く盛りあげ、床下には大甕を埋めて音響効果が出るよう、そして背面を板張にして鏡板にしている。 創設年代は不明であるが、社記に「享保11年(1726年)舞堂修繕」とあり、柱が大面取りであることから江戸初期と考えられる。能楽奉納の始まりは寛文年間(1661年〜)からであると伝える 三田市HPより |
| 霊社 |
| 祇園社 |
| 稲荷社 |

2020/4/21
| 小野天満神社 三田市小野字森ノ本709 | 履屋の中に二社合祀されている向かって左側の社殿が、一間社流造、柿葺き県重要文化財である。 妻組・肘木・蟇股に、室町時代の建築様式を色濃く残している。 |
| 大鳥居 |
| 拝殿はこの覆屋の中にある。向かって左側の社殿が、一間社流造、柿葺き県重要文化財である。 妻組・肘木・蟇股に、室町時代の建築様式を色濃く残している。 |

2020/4/21
| 光明山観福寺 真言宗大覚寺派 三田市川原字寺西433-1 | 観福寺の創建は舒明天皇12年(640)頃、天竺から紫雲に乗りこの地を訪れた法導仙人によって開かれたのが始まりとされます。平安時代以降、 当地の領主となった多田満仲から庇護され貞元元年(976)に大地震で伽藍が大破すると寛和2年(985)に再建、最盛期には当地地域の中心的な寺院として塔頭七坊を擁する大寺となりました。その後も歴代領主から庇護され、 天文10年(1541)の火災で焼失後には十倉城の城主森本備後守が再建、江戸時代には麻田藩4代藩主青木重矩が紺紙金字大般若経を寄進しています。古くから神仏習合し、延喜式式内社である高売布神社の別当寺として 祭祀を司ってきましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により寺院として独立しています。 |
| 山門 |
| 山門 |
| 本堂 |
| 空海立像 |

2020/4/21
| 大覚山方広寺 黄檗宗 三田市末吉211 | 「花と石庭の寺」 黄檗宗で開山は満福寺木菴禅師。師に深く帰依した麻田藩主青木重兼が延宝7年(1679年)に創建し移り住む。 境内には京都竜安寺式石庭があり、本堂前のしだれ桜の古木は風情があり、重兼の墓所へ続く渓谷は四季の景観を深勝することができる。 また、前衛書家故上田桑鳩氏ゆかりの寺でもある。 |
| ちょっと変わった山門。 |
| 山門から続く参道は生け垣に挟まれた長い道。 |